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「言葉の使い方」を意識すれば文章は自動的に書ける

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言葉がどのようにして結合されていくか。

文章を構成するのは言葉の結合の集まりであるから、「言葉と言葉の結び方」を知れば、文章作成の効率が上がる。

言葉と言葉を繋ぎ合わせていく為には、そもそも言葉を知っていなければならない。

知らないものは存在しないのと同じであるから、文章を作る上で最初のステップは「言葉を知ること」から始まるのである。

言葉を知ること

言葉を知るには、「実際にその言葉が使われている場面」を知る事から始めなければならない。

単に「単語」だけを覚えていても、使い方を知らなければ何の意味もないのである。

使い方を知る

言葉の使い方を知る為に、最も簡単な方法は、「Googleで検索する」ことだ。

知らない言葉は調べようがないので、まずは「知っている言葉」を検索するといいだろう。

例えば「リンゴ」を検索したとして、検索結果にはリンゴに関わる様々な言葉が現れる。

このとき、リンゴの前後で使用されている言葉をよく観察することが肝要だ。

なぜなら、そこから「リンゴ」という言葉が、リンゴをよく知る人の中でどのように使用されているかを知る事が出来るからである。

リンゴについて特にうん蓄を持たない者の中から出てくる言葉は、およそ次のようなものだ。

  • 「デザート何にする?リンゴのゼリーがあるよ」
  • 「喉が渇いた。リンゴジュースでも飲もうかな」
  • 「リンゴって皮をむくのが面倒だよね。そう言えば、100円ショップにリンゴの皮むき器が置いてあったなぁ。あれ、便利そうだけど、実際に使っている人の意見を聞いてみたいな」
  • 「リンゴと梨って何が違うの?」
  • 「リンゴの銘柄で一番人気なのはどれだろう?」
  • 「リンゴの原産地、原産国で最も出荷数が多いのはどこなのかな?」

など等

リンゴから紡ぎ出される言葉の結合というと、リンゴをよく知らない僕の中には今のところ上記のようなものしか存在しない。

要するに、日常における他愛もないつぶやきか、もしくは子供でも思い浮かべる事が出来るであろう、とりとめもない疑問。その程度のものである。

リンゴに詳しい人物であれば、恐らくリンゴの「成分」や「色味」「食べごろ」「作り方」「腐るまでの期間」「起源」「改良の余地」「調理方法」のような語句を用いて、「文章を掘り下げていく」事が出来るはずだ。

「リンゴ」という言葉から、次の言葉へと掘り下げ、さらに次、また次へと、そうしている内に、考察は深みを増し、出来上がった文章は比類なき厚みを生むのである。

リンゴの検索結果

実際にGoogleで「リンゴ」と検索した結果、次のような語句が浮かび上がってきた。

  • ゴールデンデリシャス
  • 落葉高木樹
  • 紅玉
  • シラカバ花粉症
  • アップルピーラー
  • イプラグリフロジン
  • アダムとイヴ

など等

到底検索しなければ思いつかないような語句が山となって現れる。

全く知らなかったような単語ばかりであり、これだけでは、どのように運用すればいいのか分からない言葉だらけである。

だからこそ、実際の使い方を知る事が重要なのである。

また、注意しておきたいのは、リンゴを語る上で使う「シラカバ花粉症」と、花粉症を語る為に使う「シラカバ花粉症」という語句は、また別の使い方が成されるであろうという事だ。

「リンゴ」の使い方

Wikipediaの「リンゴ」ページの書き出しの文章は、次のようなものだ。

リンゴ(林檎、学名:Malus pumila)は、バラ科リンゴ属の落葉高木樹。またはその果実のこと。植物学上はセイヨウリンゴと呼ぶ。春、白または薄紅の花が咲く。果実は球形で甘酸っぱい。

リンゴをよく知る人が書く文章では、「リンゴ」をバラ科リンゴ属という言葉で繋ぎ、落葉高木樹という樹木としての種類で結んでいる

つまり、「リンゴ」という言葉の使い方として、植物としての種類を語ったり、どのような樹木に生る果実なのかという事を示す方法もあるということだ。

このような使い方が出来ることを知れば、次のような文章を作る事が出来る。

リンゴの特徴はと言うと、その果実の色は赤色で味は甘酸っぱく、丸っぽい姿かたちをしています。

リンゴの果実が木から落ちる様子を見て、ニュートンが万有引力の法則を発見したという逸話があるように、樹木に生ったリンゴは自然と地面に落下するものであり、このような種類の植物を落葉高木樹等と言うことがあります。

落葉とはつまり、「木から落ちる」ということですね。

植物学としてはバラ科リンゴ属に分類されています。

漢字で書くと林檎となり、林檎と言えばアーティストの「椎名林檎」さんを思い起こしますよね。彼女には、真っ赤なバラが良く似合いそうですが、リンゴの特徴とは特に関係ありません。

など等

連想ゲーム

言葉を使うとは、「言葉の結合」であると説明したが、言葉を結合させていく為には、「ある言葉A」から「別の言葉B」を連想する事が出来なければならない。

このような連想は、例えば論理や理屈によって成されるものではなく、ある種の「ひらめき」「直観力」がものを言う。

「リンゴ」という語句から、「梨」を連想する事は容易だが、「チャウ・シンチー」のような語句を正しく連想する事は難しい。

言葉が文章となる為には、これらの名詞だけでは物足りず、他の名詞や動詞、接続詞などの言葉が必要となる。

リンゴと梨であれば、

「リンゴと梨はよく似ている。違うところと言えば、リンゴは赤色をしているが、梨は黄色く、リンゴは悪い魔女を連想させるが、梨は愛らしい妖精の姿を思い出させてくれる」

等と言った文章が作成出来るだろうし、リンゴとチャウ・シンチーであれば、

「映画スターのチャウ・シンチーはリンゴが大好物である。彼は、撮影現場には必ず新鮮なリンゴを持ち込み、休憩中には自ら果物ナイフを取り出し、丁寧に皮を剥いて食べるそうだ。共演者やスタッフへのお裾分けも忘れない優しい心遣いが、関係者の間で評判を呼んでいる。一方でリンゴへのこだわりは凄まじく、一般的なスーパーで購入出来るようなリーズナブルな価格の物は好まず、一部の高級店でしか取り扱っていない、生産するのに特別に手間暇をかけられた最高クラスの品種の物を買い求めるのだとか」

等と語ることも出来るだろう。

どちらにしても、「リンゴ」や「梨」「チャウ・シンチー」という言葉が使われるのは1~2回程度であり、文章のほとんどを構成するのは別の言葉となる。

もちろん、チャウ・シンチーの話は、リンゴだけに真っ赤な嘘であるが、このようにして言葉を結び付けていく事で、文章は形を成すのである。

そして、言葉を結びつける為には、リンゴなどの「キーワード」から連想される言葉を、次々と繋ぎ合わせていく技術が求められるのだ。

「知識がある」人物であれば、正しい関連語を想起し、誰かにとって「意味のある」文章を構成する事が出来るだろう。

ほとんどの場合において、リンゴとチャウ・シンチーが誰かの為に意味を持って結びつく事はないのだが、それでも「チャウ・シンチーはリンゴを食べる」と言う文章がごく自然なものであるように、「リンゴ」という語句は「人名」との結合性が抜群に良いのである。

文章と論理力

文章を作成するにあたり、実は論理的かどうかと言うのはあまり関係がない。

もっと正確に言うと、「論理力が必要とされるのは、文章を書いた後の、添削や推敲の段階」である。

文章を作るのに論理力が必要ないのは、要するに論理力は文章の前ではなく、文章の後に求められるものだからだ。

では、文章の前に求められる技術とは何かというと、それが「連想力」である。

ある言葉Aから別の言葉BやCを次々と連想する事の出来る能力こそが、文章作成においては最重要となる。

また、それを可能にするのが根本的な「知識の量」なのだ。

自分の中に存在しない言葉を連想する事はまずもって不可能な事なのである。

言葉を知って、言葉の使い方を観察している内に、知識の量は蓄積され、「ひらめき」によって言葉の結合が起こり、文章を作る事ができるのだ。

言葉と言葉の結合性

ある言葉Aが別の言葉Bと結びつくかどうかは、その言葉同士が持つ「結合性」によって判断される。

リンゴの例であったように、「リンゴ」という言葉は、「人名」との相性が非常によいのだ。

相性の良い言葉

「リンゴ」という言葉の前後には、「人名」に関する言葉が簡単に結びつく。

さとう君はリンゴを食べる事が好きで、彼の家の冷蔵庫には常に2~3個のリンゴが保存されている。

お腹がすいたときや、食後のデザートとして、いつでも食べられるようにと、スーパーに買い物に出かけた際は必ず購入するそうだ。

品種に関しては特にこだわりがないらしく、「リンゴなら何でもいい。僕はすべてのリンゴを愛する。そこに差別はない」等とよく分からない事を度々口にしている。

とか、

女優の石原さとみさんはリンゴが大の苦手らしく、ここ何年かは特に一口も食べていないそうだ。

その原因は、小さい頃に「腐ったリンゴ」を食べてしまった事にある。

彼女が小学2年生の頃、学校から帰ってお腹をすかせたさとみさんは、当時母子家庭で、お母さんのともみさんがまだ仕事から帰っていなかったこともあり、家の中を大捜索してやっと見つけた1個のリンゴを貪るように食べたそうだ。

皮の剥き方もよく知らなかった彼女は、「危ないから一人で使わないように」と釘を刺されていたものの、台所から果物ナイフを拝借し、おぼつかない手つきで、そのデザートの準備をした。

何となく、ぶよぶよとした感触で少し色味もおかしいような気はしたらしいが、お腹がすいていたこともあり、特に気にしなかったそうだ。

1個まるまるをペロリと平らげてしまったあと、しばらくして尋常ではない腹痛に襲われ、ともみさんが帰ってくるまでの間「それこそ死ぬような苦しみ」を味わったのだという。

それ以来、リンゴの事を考えるだけで、なんだか気分が悪くなるのだとさとみさんは苦笑しながらも語ってくれた。

ちなみに、お笑い芸人のカズレーザーさんもリンゴが苦手らしく……

など等

何度も言うように、文章は真っ赤な大嘘ではあるものの、「リンゴ」と「人名」は非常に相性が良く、真実かウソかは問わずいくらでも結合可能なのだ。

このことからも、言葉はその意味ではなく、使い方こそ重要であることが分かるのではないだろうか。

正しい使い方をした結果、文章となり、何らかの意味を持つに至る。

事実ではないことであっても、言葉を正しい使い方で組み合わせれば、「意味を持ってしまう」のである。

相性の悪い言葉

反対に、相性の悪い言葉同士を結合させることは困難だ。

「リンゴ」と「アクチュエーター・センサー」を結び付けて何事かを語るのは非常に難しい。

リンゴに続く言葉として、アクチュエーター・センサーを用いる事が出来ないからだ。

最初の結合が自然に起こらなければ、その前後の文章も生まれず、意味を持たせる事が出来ない。

間違った使い方

もちろん、間違った使い方をした場合にも、意味のある文章を作ることは出来ない。

「リンゴ」という語句に対して、「バタフライ泳法」という語句を結合させようとしても、

リンゴの得意な泳ぎ方はバタフライ泳法で……

という事になり、全く意味不明の文章となるのである。

もちろん、この「リンゴ」がビートルズのリンゴ・スターさんか、お笑い芸人のハイヒール・リンゴさんのことを指しているのであれば、自然な結合となるのだが、それは要するに、「言葉はそれ自体が意味を持つのではなく、どのように使われるかで意味が決まる」という事を強調するのだ。

すなわち、言葉の意味について知りたいときには、何よりもその「使い方」に目を向けるべきなのである。

「アクチュエーター・センサー」は、スマートフォンなどに搭載されている加速度などのセンサー類の事だが、もし仮に「リンゴ」という語句に結合するとすれば、

アクチュエーター・センサーはリンゴの生産を効率化する為に用いられており……

などの、全くのでたらめな文章を書くことになってしまうか、

アクチュエーター・センサーはリンゴが大好物で……

というように、「アクチュエーター・センサー」を人名にしてしまうか、

リンゴはアクチュエーター・センサーの開発者である……

のように、やはり「リンゴ」を人名にしてしまうか、など、特に誰にとっても意味のない文章を乱造する事になるのだ。

※言葉の使い方が正しいか間違っているかを決めるのは、文化である。

[http://www.satokun.blog/entry/2017/09/27/190911:embed:cite]

まとめ

誰かにとって意味のある文章を作る上では、「正しい言葉の結合」を意識しなければならない。

そして、その為には、言葉の意味ではなく、「使い方」に着目することが大切だ。

言葉の意味とは、使い方によって決定されるものであるから、自分がよく知らない言葉を見たときは、「これはどういう意味なんだろう?」と考えるよりも、「どういう使い方がされているか?」という視点で文章を眺めた方が、効果的な気づきが得られるだろう。

「アクチュエーター・センサー」が初めて見る語句だったとしても、この言葉が「機械」や「電気回路」、「物理運動」や「エネルギー」と言った語句と結びつく事を知れば、

「アクチュエーター・センサー」はある器械に搭載される電気回路の一種であり、エネルギーの入力を受ける事で物理運動を発生させる役割を担っている。

要するに、何らかの入力に対して、何らかの出力を実現する為の駆動装置である、という事が出来るだろう。

インプットとアウトプットを担う装置というと、世の中には色々な物が存在しているが、僕らの「脳みそ」もその一種であるという事は出来ないだろうか。

つまり、何らかの情報=エネルギーを、脳みそ=アクチュエーターが受信する事によって、アクチュエーター=脳みそは、手足など身体の動作へと出力を行うのだ。

この情報=エネルギーとは、ある意味で「思考」であるという事も出来る。思考した情報を脳が身体へとアウトプットするからだ。

という事は、僕ら人間にとってのエネルギーとは、思考であり、思考を実現するのは「言葉」であるから、言葉=エネルギーと言い換えることも出来る。

言葉というエネルギーは、脳みそというアクチュエーターを介して、僕らの身体を突き動かすのだ。言葉が人生を作るとはよく言うが、全くその通りである。

など等

やはり特に意味のない文章ではあるが、このようにして「言葉を使ってみる」ことによって、その言葉は自分のものとなる。

そして、その使い方が「他の人と同じ」であれば、それは知識と言えるものとなるのだ。

文章を作る上で、知識があるに越したことはない。

なかなか物事の理解が進まないとか、文章が書けないという場合には、「言葉の使い方」に意識を集中させてみると、ちょっとした変化が起きるのかもしれない。


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