コミュニケーション不足による、お互いの「仮想敵化」が恐ろしいなという話。
「仮想敵」と言うのはつまり、相手の本来の姿を見ることなく、「おそらく」あいつは、自分たちとは「違う考え方」をしていて、とてもじゃないが「協力関係」なんて築けないと、そのようにして実際には敵対関係も何もないところに、勝手に「敵認定」しちゃうことを言います。
職場において陥りやすい状況だと思うのですが、その原因は間違いなく「コミュニケーション不足」であり、反対に言えば、コミュニケーション不足さえ解消してやれば、「簡単に改善する」ような問題だと思うんですよね。
僕がなぜ、今回この記事を書こうと思ったかと言いますと、「明らかに」、日本の職場は「コミュニケーションが不足」していて、本来味方であるはずの同僚たちを、「仮想敵」とみなし過ぎていると感じたから。
会ってみれば「いい人」だった
よくありがちな話として、一度も会ったことはないけれど、「噂では評判を耳にしている」程度の人がいたとします。
その評判というのは、「あいつは影で汚いことばかりしている」とか、「あいつに泣かされた人を沢山見てきた」とか、「あいつの言う事は信じない方がいい」とかいう、何だか「どうしようもない」ような話ばかりで、こうなると、会った事すらない人だけど、「悪い印象」を抱かずにはいられませんよね。
「一体どういう奴だ」と、会いたくもないし、まかり間違って出会ってしまったら「ろくでもない事」が起こりそうだぞ、と考えるはずです。
しかしですね、実際に会ってみると、印象が変わるわけです。
あれ、何だか噂と違って好青年な感じだし、明るくって「素敵な人じゃん」と。
これ、「会ってみればいい人多い説」を唱えてみたい程に、実にありがちな話だと思います。
きちんと話をする
「仮想敵」と言うのも先の話と似たようなもので、きちんと面と向かって話をしてみれば、「意外と分かりあえる」ものなんですよ。
それなのに、どうしてこうも、職場では「悪い噂」ばかりが立ちこめて、お互いを「敵同士」だと認定しあって、わざわざ仕事を「しんどいもの」にしてしまうのか。
どうせ働くなら、皆で協力体制を形成して、一致団結した方がいいでしょーがと、僕としてはそりゃもう声高々に訴えたいのです。
しかしながら、そういった「なんでも言える雰囲気」がないのが、勝手に敵ばかり作っちゃう職場の、これまたありがちな様子となります。
陰口について
陰口の多い職場は、マジで「しんどい」です。
例えば「同僚Aさん」がいたとして、この人は「別の同僚Bさん」に対して、色々と不満がたまっているとしましょう。
このようなとき、「同僚Aさん」は、「これまた別の同僚Cさん」をつかまえては、「別の同僚Bさん」の悪口を言いまくることでしょう。
「これまた別の同僚Cさん」も、うんざりしながらも自分がその悪口の対象になりたくはないから、「仕方なく」、「同僚Aさん」の悪口に耳を貸すわけです。
決して、「同意しない」ようにしながら、「そうなんだ、そうなんだぁ」と無難な相槌を打ちながら、心の中では「仕事したいんだけど」なんて思っているんです。
これだけ罵詈雑言の嵐を聞かされたわけですから、「これまた別の同僚Cさん」としましては、「同僚Aさん」と「別の同僚Bさん」の関係について、ある程度気遣いもするし、上手くいくようにと陰ながらフォローしたりもするでしょう。
しかしですね、あるとき「これまた別の同僚Cさん」は目撃するんです。
意外にも「同僚Aさん」と「別の同僚Bさん」が、和気あいあいと「楽しそうに」仕事をしている姿を。
なぜこういうことになるのかと言うと、「面と向かって」話をすれば、そうそう「敵対関係」なんて出来やしないってことなんですよ。
陰口が「なぜ陰口になるのか」と言うと、それは面と向かっては言いにくいのではなく、「面と向かったら嫌いになれない」だけなんです。
色々不満はあったけど、今こうして目の前にしてしまうと、どうも「そんなに悪い奴とは思えない」と、そのように思っちゃうんです。
と言うことは、しっかりと相手を目の前にして、「コミュニケーション」を取ることが、当たり前の話ですが、「協力関係」を作る第一歩となるわけです。
いっそ仮想「味方」に
もうバーチャルな世界で、勝手に人の事を「悪く言ったり」、「悪い奴だと思ったり」するのはやめにしましょう。
「話をしてみれば」、意外と分かり合えるものなんですから。
むしろ、「あの人はいい人だ」と、勝手に「味方認定」しちゃうぐらいで丁度いいんじゃないかなと思います。
もちろん、何でもかんでもそうするわけではなくて、あくまでも「同僚」のことなんだから、よほどの大企業で、実際ほとんど「接点を持ちようのない人ばかり」というのなら少し話は変わってきますけど(そういう職場があるかどうかは知らない)、あくまでも「普通の」中小零細であれば、「コミュニケーション」が不足するなんてことは、本来「起こり得ない」ことだと思うんですよ。
だって、「ほとんど毎日」顔を合わせる人たちばかりなわけですから、「話をする時間がない」なんてことは、「ない」はずじゃないですか。
もし「ない」と言うのなら、それは単に面倒くさがっていたり、「話しかけづらい」オーラを放っている人がいたりして、「雰囲気」が悪くなっているだけでしょう。
そういうときは、「悪いオーラ」を放っている人を特定して、「まずはその人」と話をしてみましょう。
いくら「話しかけるな」というオーラを放っていても、実際に話しかけられれば「無視はできない」し、僕が思うに、難しい顔をして仕事に取り組んでいる人も、「かまってほしい」と言う感情はあるはずですから。
「人類皆かまってちゃん」ですよ。
孤独感が闇を増幅する
何やら小難しい見出しになっていますが、言いたいことは「そういうこと」なんです。
人は、孤独を感じると、勝手に「周囲の人たち」を敵認定しちゃいます。
周りに人がいたとしても、「自分が相手にされていない」と感じてしまえば、それは孤独であって、人は孤独なとき、頭の中で「内なる声」が止まらなくなるものですから。
その内なる声と言うのは、どうしたって「ネガティブ」な言葉が多くなりがちで、ともすると周囲の人たちを「仮想敵化」しちゃいます。
これは、「自分自身」もそうだし、自分がそうだということは、「他の人」もまた、孤独を感じたとき自然と心に「闇」を形成しているんです。
で、このようなとき、自分自身が、「他の誰か」に対して出来ることはと言えば、「話しかける」という事になります。
「あなたのことを無視してないよ」というメッセージを発してあげることは、その人の心を「暗黒面」から救い出し、正しき「フォースの導き」へと誘(いざな)えるのです。
まとめ
何だか文章の最後の方は、「意味があるやらないやら」よく分からないことになっていますが、ともかく言いたいことはただひとつ。
「コミュニケーション取ろうぜ」ってことなんです。
なぜ、「同じ職場」にいながら、「言葉」を発せず、「会話」をせず、互いに「不満」を募らせながら、「気まずさ」を感じながら、仕事をしなければならないのか。
実にバカバカしいと思いませんか。
もし、その職場に「ツン」として、「眉間」にしわを寄せた、「難しい顔」をしている、「腐ったミカン」がいるのなら、はやいところ取り除いてやらねばなりません。
腐っているのは「態度」だけですから、態度さえ修正してやれば、「普通のミカン」になってくれるはずです。
「眉間にしわ」は、すべての職場の「敵」です。
そこはもう、「敵認定」しちゃいます。
今こそ、「コミュニケーションの力」で、すべての職員の眉間の「しわ」を取り除き、人間関係を「アンチエイジング」してやりましょう。
(上手いこと言うたった感)